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オーストラリアの青い空
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おーあお

Author:おーあお
1990年より在豪、6年シドニーに住んだ後、メルボルンへ。
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天才アイルトン セナ - スクリーンに蘇る史上最速のF1伝説

2011/07/13 06:27|メルボルンのニュースTB:0CM:0
1994年5月1日イモラ―世界中のF1ファンを魅了した天才ドライバーアイルトン セナがこの世を去った。
享年34歳。
その日は多くの人間が彼の死を悼み涙を流した。

彼は1984年トールマンハートよりF1デビューする。
その前年はBritishF3を圧倒的な速さで制していたが、彼ほどの逸材でもデビューはトップチームからではなかった。
しかし彼のずば抜けた才能は早くもその年の雨のモナコで開花する。
激しい雨の中、当時のトップドライバーたちより一周4秒以上早いタイムを叩き出し、ラウダを含む5人のチャンピオンをかわし、ついにトップを走っていた翌年のチャンピオン プロストをもレッドフラッグと共にオーバーテイクする。
しかし、あまりの豪雨の為レースは短縮、結果はセナがプロストをオーバーテイクする前の順位となり記録はプロストの優勝。
後3周もあればセナが優勝したのはほぼ間違いないレースだった。
プロストは「もしセナが真後ろに来たら、安全を優先して抜かさせるつもりだった」とレース後に語っている。

その翌年、黒い閃光、ロータスルノーへ移籍したセナは雨のポルトガルグランプリで2位に一分以上の差をつけて圧勝する。
それがセナの最初の勝利でその後彼はトータルで41勝を上げる。
ロータス時代のセナは予選の速さと紙一重のオーバーテイクで既に当時の四天王(プロスト、マンセル、ピケ、セナ)の一人に数えられていたが如何せんホンダエンジンを擁したウィリアムズにマシンの性能で大きく差をつけられていた。

しかし1988年、彼は終に念願のトップチーム―敏腕マネージャー ロン デニス に率いられ、ホンダターボを搭載したマクラーレンに移籍する。
チームメイトは既に2度のワールドチャンピオンに輝いているアラン プロスト。
当時セナは28歳、プロストは33歳でドライバーとしてはピークにあっただろう。
しかしセナはそのプロフェッサー プロストを予選でもレースでも圧倒する。
結果はセナ13ポールポジションに対しプロストは2。
レースの優勝回数はセナ8に対してプロスト7。
特にセナの予選の速さは驚異的で、モナコの予選ではプロストに1.5秒近い差をつけた。
その速さに関しプロストは「信じられない」と愕然とした顔でコメントを漏らしている。
その年セナは鈴鹿GPのスタートで大きく出遅れたにも拘らずプロストを捉え、優勝して終に悲願のワールドチャンピオンを達成する。

その翌年もセナは開幕4戦で3勝と快調なシーズンスタートを切ったが、その頃からチームメイト プロストとの確執が世間に知られるようになり、その不和は鈴鹿GPのシケインでの接触により決定的となる。
レースは、接触後コースに復帰したセナが猛追を見せ、先頭のナニーニを抜いて優勝―したのであるが、当時のFIA会長、プロストと同じフランス人の ジャン マリー バレストルは接触後のマーシャルによる押しがけと危険運転を理由にセナを失格処分。
総合優勝はアラン プロストとなる。
セナは落胆し最終戦のアデレードの棄権をも考えたが、
「自分は責任のあるプロフェッショナルである。神が私を導いてくれるであろう」
と涙目で語り、豪雨のアデレードでは接触するまで怒りの劇走を見せた。
尚FIA会長バレストルはその後、ブラジル人とセナファンの恨みを一身に受けることになる。

さらに翌年、プロストはフェラーリに移籍し、セナはマクラーレンに残留したが、ライバル関係は続き、結果はまたも鈴鹿の接触により今度はセナが総合優勝。
前年の怨念強きセナは、明らかに故意に当てたように誰の目にも映ったが、セナに対する同情と彼の気迫と人気が、失格処分を許さなかった。

1991年、セナは31歳で初めて祖国ブラジルで優勝する。
途中ギアボックスに支障が生じ6速のみのドライブを強要されたセナはフィニッシュラインを超えた後、疲労困憊により気絶しコクピットから出るのに救助班のアシストを必要とした。
その年はセナが開幕4連勝し、途中ウィリアムズに追い上げられたが、またも鈴鹿で3度目の総合優勝を決める。
思えばそれが彼のキャリアにおける絶頂期であった。
翌年はアクティブサスペンション、トラクションコントロール等のハイテクを装備したウイリアムズにマシンの性能で大きく差を開けられてしまい彼の才能を持ってしてもどうする事もできなかった。
ただ、その年のモナコでのマンセルとのラスト5ラップのスーパーバトルはF1史上に残る名レースで今でも語り草になっている。

1993年―この年マクラーレンはホンダエンジンを失いカスタマー使用のフォードエンジンで臨むことを余儀なくされる。
つまり、マシーンの性能でウィリアムズに大きく離され、新星シューマッハーを擁し、ワークスフォードエンジンを搭載するベネトンにもエンジンの点でハンディを負う事になったのである。
大きなハンディを負ったセナは、自己の天才を最大限に発揮するしか勝利への道は無かった。
その天才に天が味方した―開幕第二戦ブラジル、豪雨でリタイアしたプロスト変わって先頭に立ったヒルをまだ乾ききっていない路面でスリックタイヤでパスするとそのまま一気にチェッカーまで走り、祖国ブラジルを熱狂させた。
次の第三戦はイギリスのドニントン。ヨーロッパグランプリとして開催されたそのレースは彼の生涯最高のレースとの呼び声が高い。
天候はまたも雨。
スタートで順位を下げたセナは、すぐに前を行くシューマッハーをかわしベンドリンガー、ヒル、プロストと実に3人のチャンピオンを含む、4台を最初のラップでゴボウ抜き。
ファーステストラップを叩き出した2周目では1周4秒近く他の誰よりも速く、僅か2周で7秒近い差を2位のプロストにつけていた。
このレースで当時BBCのコメンテーターであったマリー ウォーカーと元ワールドチャンピオン ジェームス ハント は「ジニアス(天才)」を連呼し、セナの神懸りなパフォーマンスを絶賛した。
その後セナはモナコで6回目の優勝を飾り、グラハムヒルの記録を抜くが、それ以降は天の助けも無く、カナダやシルバーストーンで驚異的なテクニックを披露するも結果に繋がらなかった。
老練なプロストはレース毎に確実にポイントを重ねその年4度目の総合優勝を手に入れる。
セナは第14戦ポルトガルグランプリから後のチャンピオン ハッキネンをチームメイトに迎えるがこれも圧倒。
最終2レースでは意地を見せて勝利を収め、結局その年は総合2位に終わる。
アイルトンセナのチームメイトにはプロストを始め、ヒル、ハッキネン、デ アンジェリス、ベルガー等チャンピオン、もしくはそれに順ずる成績を残した者が多いが彼はそれら超一流のドライバーを常に速さにおいて圧倒した。

1994年―プロストは引退し、ウイリアムズにはセナが後釜に座った。
ロスマンズカラーの美しいマシーンFW-16はセナの快走を期待させ、下馬評では「セナの全戦全勝もありうる」と言われていた。
だが、その年からアクティブサス、トラクションコントロールなどのハイテクが禁止され、タイヤの幅が細くなるなどレギュレーションが大きく変わった。
セナのマシンは安定性を欠き、開幕から3戦連続でポールポジションを獲得するも、最初の2戦は彼らしくないリタイヤ。
特に開幕ブラジルGPでスピンしてヘルメットを脱いだ後は気の毒なほどに暗い表情をしていた。

そして3戦目…世界が泣いた運命のイモラ―再スタートの後、魔のタンブレロコーナーでセナのマシーンは左コーナーで左ではなく右に急ターンしコンクリートの壁に激突した―。

次の日の朝、世界のニュースはセナの死の速報が一面を覆った。
「まさか?」
と耳を失った彼の熱狂的なファンはその場に泣き崩れ、イモラサーキットの周りは追悼の花束で埋まった。

彼は敬虔なクリスチャンで祖国ブラジルをこよなく愛していた。
彼の亡骸はブラジル空軍機と100万の国民によって迎えられ国葬を持ってサウパウロの墓地に葬られた。

彼のドキュメンタリーフィルムはメルボルン国際映画祭で7月21日から8月7日まで放映されその後8月11日より一般に公開される。

コメント
今回は下の記事に忠実ではなく自分の記憶のままに書いてみた。
この程度の事は本にも、ウィキにもより詳しく書いてあるが、あれほどの興奮を与えてくれたアイルトン セナ に敬意を表してどうしても自分なりに書きたかった
私はセナのレースはすべて見た。
やはり一番のレースは1993年のドニントンだろう。
同年のカナダのオープニングの2周も凄い。
また1992年モナコの最後の5周もすさまじかった。
彼の死以降、それと同レベルなレースどころか、それに近いレースも見た事は無く、最近はたまにF1を見ても気付いた時には眠っている。

セナのレースはユーチューブにも多くアップされている。
現在のF1を見て面白いと思う方は是非見てもらいたい。
アイルトン セナ がいかに優れたドライバーであったか分かると思う。

1993 European GP Opening Laps
http://www.youtube.com/watch?v=uqim6FQLI1Q
1993 Canadian GP Opening Laps
http://www.youtube.com/watch?v=Eut-9j3B_LQ
1992 Monaco GP Last Laps
http://www.youtube.com/watch?v=9vWi6qgMZVs
Ayrton Senna Overtakes
http://www.youtube.com/watch?v=zB1bSPJdgfs

関連記事
The fast life of Ayrton Senna
Steve Colquhoun | 12th July 2011
''BE CAREFUL, you still have so much to do.'' Ayrton Senna, on May 1, 1994, acknowledges the advice of his good friend and formula one doctor Sid Watkins with gravitas but without the awful foreknowledge of audiences watching the documentary that carries his name.
As one among the millions around the world who closely followed Senna's brilliant but temperamental career with a mixture of awe and amazement, you just want to reach up and through the big screen and shake the intense Brazilian superstar by the shoulders. To tell him on that fateful day at Imola in Italy to give in to the sense of foreboding that so disturbed him following the death the previous day of fellow driver Roland Ratzenburger. To abandon his steely determination to succeed at all costs. In short, you want to tell him not to get into that Williams F1 car on that day.
He did, of course, and history reflects that the triple world champion's life ended when - leading the race following a safety car restart - his car went straight ahead at the high-speed Tamburello corner and slammed into a crash barrier.
It was a big hit but surprisingly not as big or ugly as one that fellow Brazilian Rubens Barrichello had walked away from with minor injuries just two days earlier.
A highly religious man, Senna always believed God was looking over him. But at the age of 34, it turned out that even his faith could not protect him from the broken suspension component that flew through the cockpit at the precise height and angle to pierce his helmet and inflict fatal head injuries.
Senna - the movie - deals sensitively with the shock that reverberated around the racetrack and through the motor racing fraternity that day and around the world in the days following the tragedy. In his native Brazil, where unemployment and homelessness were rampant, he was beyond a hero. The outpouring of grief was unprecedented in that country.
The early part of the film uses a fabulous array of footage to paint the picture of Senna's meteoric rise. Director Asif Kapadia, who won two BAFTA awards for his first feature, The Warrior, was granted unfettered access along with producer James Gay-Rees (The Real Howard Spitz, Exit Through the Gift Shop) to the sport's archives by F1 supremo Bernie Ecclestone.
Formula one pit garages are typically bastions of secrecy where drivers, engineers and mechanics confer in hushed tones over the latest mega-expensive widget. In a world where races and world titles can be won and lost in hundredths or even thousandths of a second, keeping your rivals in the dark is crucial.
That's what makes some of the fly-on-the-wall camerawork in Senna so special. Much of it was shot in the days when cigarette advertising flooded the sport's coffers, so Kapadia and Gay-Rees discovered an embarrassment of riches when it came to sifting through the footage.
''By Imola at the end of the movie, Senna has pretty much got 40 cameras on him everywhere he goes, so it became like cutting a drama,'' Kapadia says. ''We could literally have a mid-shot, a reverse, a two-shot profile and a high-angled helicopter shot if we wanted.''
Working Title Films co-chair Eric Fellner says the array of material meant they could be highly selective. ''It sounds a bit nerdy but we always tried to find the angle that hadn't been broadcast,'' he says. ''And then a lot of the stuff in the garage with Senna and the brilliant sequences of the drivers' conferences, no one has ever seen that.''
The production team also had access to some fabulous in-car and aerial footage. Early in the film, they dwell lovingly on the day in 1984 - a decade before his death - that the then-unheralded Brazilian tore through the rain-soaked streets of Monaco. He passed six former or future world champions on the way to what should have been his maiden victory but, amid scenes of confusion, the rain-halted race was instead awarded to Frenchman Alain Prost.
There are the three world titles, of course, and perhaps most poignantly, his first victory on his home track in Brazil in 1991.
An intensely patriotic man, Senna was so determined to win before his home crowd that he drove the final part of the race with his car jammed in sixth gear. The effort took such a toll that he passed out after crossing the finishing line and his hands had to be pried from the steering wheel before he could be assisted from the cockpit.
Every good story has a villain and Senna has two - racing rival Prost and FIA boss Jean Marie Balestre. Perhaps because he hailed from outside the sport's European stronghold, the intensely competitive Brazilian soon made enemies of the two Frenchmen, who were among F1's most influential figures.
The headbutting between Senna and Prost directly affected the outcome of at least two world titles, with the pair deliberately ramming each other at pivotal moments. ''I wanted to punch him in the face but I was so disgusted I could not do it,'' said Prost after one collision.
It was well known, even to race fans watching on television from the other side of the world, that the animosity between the pair - teammates at the dominant McLaren outfit for much of the time - was palpably real both on and off the track. It clearly was not just a PR-manufactured rivalry to promote the sport or the team.
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It is a statement that says much about Senna's almost maniacal will to win and haughty self-righteousness and is one of a number of moments that demonstrate Senna to be anything but the saint his legacy might suggest.
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One wonders if Senna would have extended the same courtesy had the positions been reversed. Perhaps his strong faith may, too, have led him to forgiveness.
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Perhaps it was that perception of cheating that so enraged Senna that he felt compelled to drive that day at Imola, when he was clearly conflicted about doing so.
One answer the film is not prepared to give - nor even delve into - is the issue of why Senna crashed. It has been established that a steering column failure occurred, although various engineers have questioned whether this caused the accident, or happened during it. The debate still rages 17 years later and was probably considered too fraught to be even cursorily touched upon.
Even lacking that punctuation mark, Senna remains real, raw and relevant, laying bare the soul of a talented but flawed genius and leaving you to be the judge of his place in the pantheon of the sport's greats.
Senna screens during the Melbourne International Film Festival (July 21-August 7), opening nationally on August 11.

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